徒然なる日記ブログ

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自死の原因とはなんだろうか

 人が自死に至る原因とはなんだろうか。以下の二つではないかと私は思う

 

 一つ目は金銭的な生活苦だと思う。

 日々の生活を送るのがやっとで、その日暮らしのため労働を続ける毎日。生きるために働くということ。それがある日、なんのために生きているのかという考えが浮かぶことで、自死に至るのではないか。

 

 そして二つ目は他人との関係だと思う。

 漠然と当たり前のことを言うようだが、人は独りでは生きられない。いや、今は独りで生きようとすること自体が、そもそも実現不可能に近い。SNS等の通信ネットワークが発展したこの中では、家に一人でいる時だって、オンライン上で誰かと接点がもたれている。現実世界だろうとネットワーク世界だろうと、人は独りではない。これは独りで生きられないとする人にとって素晴らしいことでもあるが、問題になることもある。

 問題とは、他人との関係をもったことで自分が壊されていくことだ。死にたい、死んだ方がマシだと思うほどに。これは他人との関係がなければ生じ得ない問題だ。しかし人は独りでは生きられない。他人との関係をもつことが相反する生と死、それぞれの根源になる。

 

 ここで人が理解しなければならないことは、他人と接する以上、何かしらの影響を与えうるということで、それは良い方向にも、悪い方向にも、である。

 良い方向、悪い方向というのはここではそれぞれ生の方向、死の方向と同義としておこう。

 時にはこれらの意味が反対になることがあるかもしれない。つまり、死ぬのが良い方向、生きるのが悪い方向と言うように。例えば重病で生きていることが辛い人には安らかな死を迎えられる方向にケアをしていくことや、極悪の殺人犯を死刑に処するように検察が追求することなど。だがこれらの一種の例外は除くこととする。

 

 

 近頃よく言われているのが、殊にインターネット上の他人への言葉による誹謗中傷で、これは悪い方向へと他人に影響を与える問題だ。

 

 ただ、他人を悪い方向(つまり死の方向)へ向けるのは、尊厳を傷つけ貶める言葉だけではない。期待や信頼も、度を超えれば悪い方向に相手を向けうる。良い方向へと影響を与えると考えられる接し方も、真逆な舵取りになる恐れがある。

 つまりどこに線引きがあるかわからない。それ故、他人と接するときには、相手のことをよく考えなければならない。相手の為人を考えなければならない。

 独りで生きてはいけない人間なのだから、相手のことを考えるまでが自分の生き方の一部だと認識していかなければならない。

 

 

 今日、ある有名俳優の方が亡くなった。報道によれば、遺書があり自死と見られている。その原因は誹謗中傷だとの意見もあるが、これは推測の域を出ない。本人から話を聞くことができない以上、本当の原因はわからないのだ。だからこそ、私たちの接し方が一因になっているかもしれないという可能性を自覚しておかなかればならない。多かれ少なかれ、良きも悪くも、人は他人に影響を与えている。それは現実世界で面と向かう人にも、メディアを通して交流ができる人に対しても。

 

 

 ご冥福をお祈りします。

 

 

 

おわろ。