徒然なる日記ブログ

日々の出来事や行動を徒然なるままに書いていきます

海鮮丼!

 今日は連休の中日。以前から友人と約束していた房総探訪に行ってきた。電車で途中まで行き、そこからはレンタカーで富浦まで向かった。

 時間がお昼時になってしまったこともあり、渋滞&渋滞。現地に着いたのは14時前だった。そしてお店の前には人&人。一時間待ってようやく入店。食べ終わる頃には16時前だった。

 おやつになってしまったのはともかく、さすが房総の海鮮丼。とても美味しい。最高であった。いくらとマグロがとても美味しかった。家から片道四時間近くかけた甲斐があったと思う。

 

今度は浜焼きが食べたいな。

 

 

 

 

おわり。

アニメ

 近頃、仕事から帰宅後、夕飯を食べてからは部屋にこもってアニメを見ている。

 

 現在放送している作品や、過去に私が見たことのない作品を見るのではなく、過去に見たことがある作品の見直しをしている。最近新しいストーリーを理解しようとするのがしんどいので、あらすじがわかっている作品をBGMの一種として流している。

 

 今見ているのはコードギアス反逆のルルーシュ(2シーズン)だ。全50話で長いのだが、今日で見終えそうだ。見るのは4回目くらいなのだが、相変わらず面白い。

 やっぱりナイトメアがかっこいい。ランスロットアルビオンは名前をデザインもいい。そしてシャーリーが死んでしまうのは本当にやめて欲しかった。あそこだけはどうにかして欲しい・・・・・・。映画版のコードギアスではシャーリーが死なないとか噂で聞いたのだが見ていないのでわからない。初見作品なので、心の準備をしないといけないのでまだ見れない。

 

 明後日からの連休で見ることにするか。

 

 

 

 書くことが最近適当になってきているな?

 

 

 

 

おわり。

残務なし

 今日は月曜日。それなりに働いた(?)が、やり残した仕事はない。順調な週明けの滑り出し。

 今日は業務内容をうまく取捨選択して取り組めた気がする。タスクマネジメントがよくできたのだろうか。それとも昨日運動して得た活力のおかげで作業効率が上がったからなのか。

この調子が続けばいいのに。

 ただ、明日から学生がまたやってくる。イレギュラー満載。明日もがんばろう。

 

 

 

おわり。

 

久々の運動

 今日は久々の晴天模様であった。休日で特にやることもなかったので、ランニングをしてきた。スマホのアプリでランニングの記録を残しているのだが、どうやら昨年の11月以来のランニングらしい。かなりサボっていたようだ。

 

 久方ぶりということで、今日は軽めに30分ほどのスローペースで走った。

 このペースでも案の定、走り終えた後は疲労困憊。既に足には筋肉痛が。それでも走り終えた後は少し肩の凝りや体のだるさが軽減されたように感じる。

 さらにその後の日常活動が活発になった。部屋の片付けのやる気もでてきた。今もやっている。

 

 やはり定期的な運動は、活力を得るために必要だと再認識した。私は物事の始めのスタートダッシュは得意なので(ゴールはせず危険がほとんどだが)、今後1ヶ月間はランニングの習慣がつくだろう。

 

 何事も改めて始める、ということはいいことだ。今後もやっていこう。

 

 

 

おわり。

自死の原因とはなんだろうか

 人が自死に至る原因とはなんだろうか。以下の二つではないかと私は思う

 

 一つ目は金銭的な生活苦だと思う。

 日々の生活を送るのがやっとで、その日暮らしのため労働を続ける毎日。生きるために働くということ。それがある日、なんのために生きているのかという考えが浮かぶことで、自死に至るのではないか。

 

 そして二つ目は他人との関係だと思う。

 漠然と当たり前のことを言うようだが、人は独りでは生きられない。いや、今は独りで生きようとすること自体が、そもそも実現不可能に近い。SNS等の通信ネットワークが発展したこの中では、家に一人でいる時だって、オンライン上で誰かと接点がもたれている。現実世界だろうとネットワーク世界だろうと、人は独りではない。これは独りで生きられないとする人にとって素晴らしいことでもあるが、問題になることもある。

 問題とは、他人との関係をもったことで自分が壊されていくことだ。死にたい、死んだ方がマシだと思うほどに。これは他人との関係がなければ生じ得ない問題だ。しかし人は独りでは生きられない。他人との関係をもつことが相反する生と死、それぞれの根源になる。

 

 ここで人が理解しなければならないことは、他人と接する以上、何かしらの影響を与えうるということで、それは良い方向にも、悪い方向にも、である。

 良い方向、悪い方向というのはここではそれぞれ生の方向、死の方向と同義としておこう。

 時にはこれらの意味が反対になることがあるかもしれない。つまり、死ぬのが良い方向、生きるのが悪い方向と言うように。例えば重病で生きていることが辛い人には安らかな死を迎えられる方向にケアをしていくことや、極悪の殺人犯を死刑に処するように検察が追求することなど。だがこれらの一種の例外は除くこととする。

 

 

 近頃よく言われているのが、殊にインターネット上の他人への言葉による誹謗中傷で、これは悪い方向へと他人に影響を与える問題だ。

 

 ただ、他人を悪い方向(つまり死の方向)へ向けるのは、尊厳を傷つけ貶める言葉だけではない。期待や信頼も、度を超えれば悪い方向に相手を向けうる。良い方向へと影響を与えると考えられる接し方も、真逆な舵取りになる恐れがある。

 つまりどこに線引きがあるかわからない。それ故、他人と接するときには、相手のことをよく考えなければならない。相手の為人を考えなければならない。

 独りで生きてはいけない人間なのだから、相手のことを考えるまでが自分の生き方の一部だと認識していかなければならない。

 

 

 今日、ある有名俳優の方が亡くなった。報道によれば、遺書があり自死と見られている。その原因は誹謗中傷だとの意見もあるが、これは推測の域を出ない。本人から話を聞くことができない以上、本当の原因はわからないのだ。だからこそ、私たちの接し方が一因になっているかもしれないという可能性を自覚しておかなかればならない。多かれ少なかれ、良きも悪くも、人は他人に影響を与えている。それは現実世界で面と向かう人にも、メディアを通して交流ができる人に対しても。

 

 

 ご冥福をお祈りします。

 

 

 

おわろ。